賢太郎さんの本で「演劇アレルギー」と「比較癖」を見直す

小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」という本

小林賢太郎さんの本が出たとのことで、小林賢太郎展のグッズ売り場で入手してきました。

以前からKKTVでのアトリエの様子や、インタビューを頻繁にチェックしていたので、うんうんそう言ってたよね、改めてすごいですね、って調子で読みました。

読み終わってから何日か経ったのですが、未だに頭に残っているのが「演劇アレルギーは治さない方がいい」と「うちはうち、よそはよそ」の項目です。

演劇アレルギー

自分が芝居の勉強をしていた頃に、知り合いの舞台を観に行きました。しかし、物語の流れがわからず、出演者のレベルが低いのか高いのかもよくわからず、小劇場の空気とはこんなにも薄くて苦しいものなのか、と思ったのが最初の演劇の記憶です。

その後、何度か知り合いの舞台を観劇して、面白くて楽しかったと思うものもあれば、開始5分で頭が痛くなるものもありました。見終わった後に熱が出たこともあって、それ以来、自分で行きたいと思ったもの以外はきちんと断ろう、と決めました。

アレルギー反応が出る=普通を知っている

賢太郎さんの文章では、

出演者が「演劇やってる自分が大好き!」という何とも恥ずかしい悪臭を放っていた

と表現されていて、まさにそれだ…と腑に落ちたと同時に、自ら演劇を作っている人でもそういう反応をするんだ、と知りました。だってなんか大丈夫そうじゃん、演劇大好きそうだから。でもよくよく考えると、ちゃんと作っている人の方が悪臭を感じ取りやすいですよね。少し安心しました。

以前読んだ、水野学さんの「センスは知識からはじまる」の中でも、「普通を知ること」がセンスを磨く第一歩だと書かれていました。

それを踏まえると、アレルギー反応があるということは、「これはちょっとおかしい」と感じているわけで、自分の中に「作品として普通か」の基準がきちんと設定できている、ということになります。

「作品として普通か」というのは、話が平凡とか、可もなく不可もなくってことではなくて、人に見せる作品として他者への配慮があるか、ということです。

今までは、体調悪くなるの嫌だし、どんな作品に当たっても大丈夫なように耐性付けたいなぁ、と思っていました。でも普通さのバロメーターを失くすのはいやなので、耐性の方が要らないやと開き直りました。熱出そうな作品は観なければいいだけだし。

うちはうち、よそはよそ

他人の仕事がうらやましくなったり、逆に他人の仕事にプロ意識を感じなかったりした時に、賢太郎さんが自らに言い聞かせるそうで、

うらやむ必要はない、また、否定を言葉にする意味もない。自分は、自分の目の前にあるつくりかけの作品を良くすることだけに集中していればいい

と書かれていました。

これを読む少し前に、テレビで人生経験豊富な方が、恋愛や友人関係で悩む相手に「うちはうち、よそはよそ」とアドバイスしている場面に出くわしました。創作とはまったく関係ない話だったのですが、なぜか印象に残っていて、最近よくこの言葉とバッタリ会う気がしています。

実際、この言葉を呟いてみると結構落ち着くというか、広がりすぎた視界がきゅうっと絞られます。時間と体力がもったいない、と気付いて態勢を立て直すことができる良い言葉です。ひらがななのが穏やかで可愛いしほっこりします。ふくはうち、おにはそと、と似てる。

おわり

作品のつくり方の項目で物凄い重要なことをさらりとバラしてたり、「職業・小林賢太郎」ってかっこよすぎだろと打ちのめされたり、参考にしようにも難易度が高すぎて、自分もっとがんばります、って気分になりました。

どう転んでもどう捉えても彼はすごい人だけど、思考のプロセスを知ると共感する部分が多かったです。賢太郎さんの活動を見ると良い刺激になります。私のように、思考の覗き見が好きな人は確実にほくほくするので、読むといいと思います。

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