円城塔さんの短編集「シャッフル航法」が発売されて、記念イベントが開催されました。
- @渋谷ジュンク堂
- 山本貴光さんとの対談
- 最後にサイン会
- 電話で予約
- イベント開催を知ったのは円城さんのTwitter
お話しされていた内容をまとめていきます。
もくじ
テキストデータの扱い方
そもそも対談内容が「リファクタリング」、つまり「ちゃんと書こうよ」というテーマでした。専門用語の解説は全て対談相手の山本さんが行ってくれたので、話の流れがとてもよくわかりました。
山本貴光さんはゲーム作家であり、文筆家であり、文体についてものすごく詳しい人です。
リファクタリングはプログラミング用語で、外から見た動作は変えないまま中身(ソースコード)を整理して綺麗にすることだそうです。その定義から「ちゃんと書こうよ」「ちゃんとしゃべろうよ」という話に発展していきました。
自分への信用度
プログラムも小説も、データが検索・置換できるようにちゃんと書けばいいじゃんという話で、その時は「diffがとれるようにしたい」という表現が使われていました。
diffは、データを比較したり履歴を見返した時に差異や差分を取れるようにすることです。紙原稿で修正が入ったりすると、差異を人力でチェックして目で探さないといけないから膨大な労力になっちゃうので、いい加減そういうのは機械に任せましょうよ、という話でした。
これには頷いたことか。
自分も仕事で分厚い冊子を作って、直しの入った紙原稿を何度も行き来して死にそうになったことがありました。人間の目は信用できない、自分は信用できない! という結論に何度も達したものです。
前にブログで、githubだと変更履歴がわかりやすいから小説を書くのに適している、という記事を見ていたのと、自分が書く時もテキストデータの履歴を追えたらいいのになぁと思っていたので納得でした。
テキストにはテキストの扱いやすい生の形があるはずで、今の紙原稿は本当にきついらしい。今の時代、原稿はほとんどパソコンで入力しているのだし、その後の作業もずっとデータで扱えるとしたら、
〈主人公1〉が〈動詞1〉した。
みたいにできるし、後から置換すれば直しも速い。
円城さんは登場人物に名前を付けてもいつも忘れちゃうからこの方がいいとのことでした。つまりそうしたいほどに自分への信用度が低いらしい。
自分のミスを検索するプログラムも書いているみたいなんだけど、プログラムを書いているのも自分なので、それが合っているのか検証するプログラムも必要だし、それも自分が書くからまたそれを検証するものが必要だし…っていう円城ワールド特有の「入れ子構造」が本人の日常生活にまで発生していて、山本さんとお客さんが爆笑していました。
和とITが入り混じってる
円城さんが『雨月物語』を現代語訳したとのことで、今回は古文についての言及も多かったです。思いっきり物語性ありの話でしたが、自分の中でノンリニアと物語性は両立するので、二重にお得な感じで楽しめます。
そもそも「日本語」は急ごしらえで構造も何もかもボロボロなんだよという話から始まりました。円城さんは自分の小説の単語の分布を調べてみたらしく、
形容詞は「赤い」とか「青い」とか「早い」とかばっかりなの。ひどいよね。
とレパートリーが異様に少ないことを嘆いていました。
みんな自分の文章をbotにしてみたらいい。いかに偏ってるかわかるし、他にも何かしらわかることがあるから
という提案もありました。
自分の場合は「割と」とか「気がする」とか「感じ」が頻出語句だと思います。すごくおおまかに漠然と話す自覚があるし、意識的にそうしているのもある。
で、そもそも日本語というのはボロボロだけど、我々はそのボロボロを一旦通さないと思考もできないという話でした。
例えば「哲学」という日本語は、ギリシャ語とラテン語の概念を固めて中国の漢字にむりやり詰め込んだ「日本語」の振りをしたハイブリットな単語だけど、結局実際はなんなの? と感じることが多い単語であるとのこと。そのへんのボロボロ加減に山本さんは「動けばかっこいいんだけどね」という感想を漏らしていました。
円城さんは、古文から発展して最近は五十音表とか眺めちゃってるらしく、山本さんが「またおもしろそうな方向へ行きそうですね」みたいなことをおっしゃっていてとてもワクワクしました。
特に言語に関しては身近なものだし、それによって思考が形成されているものでもあるから最近とても興味深い対象となっています。言語学界隈のTwitterを見ていても、数学系や哲学系のツイート並に何言ってるかわからないのに毎日追っているとだんだんわかってくるのもおもしろいです。自分の興味が広がっていくのが見えてそれもまた楽しい。
しかも今回は『雨月物語』というTHE・日本的な題材だったのもおもしろさの一つを担っていて、普段書かれているものが広義のSFだからギャップがおもしろかったです。でも話している内容はやっぱりプログラマ的なので、ジャンルを激しく行き来している感じが凄まじい。本人としてはひとつなぎなのだろうなぁ。
こうなったら変体仮名までいこう
雨月物語絡みで、日本語を扱うなら万葉集あたりまでどんどん遡ろうって話にもなりました。
でも大和言葉わからなすぎるから言語エンジンインストールしたい。
いろんな時代に話が飛んで、定家は字が下手だからすごく大きく書いてあって読む方からしたら読みやすくて助かるとか、秋成は変に大和言葉で書き綴るからなよなよしていて、BLか! などなどツッコミもありました。
ちょうど自分も大和言葉に興味があって、本屋で大和言葉の本を立ち読みしていました。どの本を買おうか迷っている最中です。「しかと」という言葉が花札由来の大和言葉であると知ったのが最近の衝撃です。
物理法則がぶっ壊れたところに愛を差し込む
対談にて、
物理法則が崩れると論理法則が崩れる。愛を感じるのはバグった時。
というフレーズが頭に残っています。
円城氏曰く、小説内で構造/形式の操作を繰り返し、どこまで行ったら破綻するかを観察する。それが破綻するタイミングで、物理法則の破綻(SFにおけるワープなど)も導入できる。「感情の発露」を挿入するのも同様のモメント。たとえば「愛」は何かが食い違っているときにしか生まれない。
— MA$A$HI / 吉田 雅史 (@nejel_mongrel) 2015, 9月 2
というツイートをしている方がいて、この人はあの一瞬でここまで聞き取ったのかと感心してイイネしました。自分のメモにも簡単なまとめを書いています。
- 物理法則の壊れるところでは論理も崩れていい
- 形式的な構造の中に感情をさしこむのは難しい
- 物理法則が壊れれば、そこに感情を差し込みやすい
- 愛を感じるのは食い違いや、文句が繰り返される時
円城さんの本の「物理・論理法則の破綻」については質感でいうといつもひんやりしていてクールなSFという印象なのですが、そこに差し込まれる愛情みたいな「感情の発露」はものすごく詩的になると感じていました。ご本人が使っていたのは、
論理エンジンと詩人エンジン
という表現です。
「自分の中にいる詩人が」とか「行き詰った時は詩人を散歩させるとよい」などのお話をされていました。なるほど、だからひんやりした中にもじんわりくるものがあるのだな、と納得。
文字コードの侵食
我々は基本的に文字コードに縛られているから、それを構造的に落とし込んでみるのはどうだろう、というような話だったと思います。
例えば、中国の文字コードが増えすぎて侵食してくるから、自分たちはチベットか何かの文字コードに変換(偽装?)してその場をしのぐ、などのお話。
細かい部分が合っているかはわかりません。ギャグっぽいけど笑えないよね、とおっしゃっていたので、リアルな世界とのリンクと察するところまでしか追いつけませんでした。
質疑応答の空気
円城さんと山本さんの対談自体はものすごくハイレベルなお話が多かったものの、山本さんの解説のおかげでかなり理解できました。
しかし質疑応答での質問者さんまでかなりハイレベルだったのはトドメっぽかったです。
- Web上で奥さまと連載しているものについて
- 機械と妻の質感の違い
- ジョジョの漢字を作ろうとしている
- 必ずジョジョ立ちしている人がにんべんになる
これだけでわかる人はいないと思いますが、自分でもこの4行分しか話を捉えられなかったのでどうしようもないです。みんな何者か。
プリントの充実っぷり
当日はイベント参加者にだけ配られたプリントがあって、
- 山本さんによる円城作品の解説(1万字!)
- 円城さんの書きおろし短編「〈ゲンジの物語〉の作者、〈マツダイラ・サダノブ〉」
解説を読むと「円城作品に感じる何かとは一体何か」みたいなことを言語化してもらえているような気がして、全体的に曖昧ながらもふわっと掴める感じがします(ふわっとしすぎ)。
円城塔がますます楽しくなるミニ・ブックリスト
というリストも付けてくれてて、53冊も書いてありました。もちろん全部読みたいところだけど、まず優先的に読んでみたいと思った本はこちら。
レーモン・クノーは、小林賢太郎テレビの放送時、アトリエの本棚に『文体練習』が映っていたので読んでみたことがあります。『文体練習』をもじったコントもあって、賢太郎さんきっかけで知った作家です。
ウィトゲンシュタインの本は、野矢先生が翻訳しているのでちょっと興味が湧いています。
また、青空文庫で無料で読める寺田寅彦の『数学と語学』も紹介されていて、これは短いからさくっと読めました。
全集もあります。
円城さんの書きおろし短編は「置き換え」に焦点を当てていて、先述した、
〈主人公1〉が〈動詞1〉した。
を実際に小説でやってみたらどうなるかという話でした。
こんなダイイングメッセージが残されていたよ、という小説を例に挙げてみると、
「〈〈〈被害者1〉の昔の恋人だった人物〉の娘と思われていたが、〈〈被害者1〉の昔の恋人だった人物〉の恋人であった人物〉」
これがダイイングメッセージで、小説の作業が進むにつれて、〈被害者1〉が「ロクジョウノミヤスンドコロ」に置き換えられます。
「〈〈ロクジョウノミヤスンドコロの昔の恋人だった人物〉の娘と思われていたが、〈ロクジョウノミヤスンドコロ〉の昔の恋人であった人物〉の恋人であった人物〉」となり、
〈ロクジョウノミヤスンドコロの昔の恋人だった人物〉は、「ヒカル・ゲンジ」に置き換えられて、
〈ヒカル・ゲンジの娘と思われていたが、ヒカル・ゲンジの恋人であった人物〉となり、これは更に「ムラサキノウエ」に変換されることになって、ダイイングメッセージが完成することになる。
「ムラサキノウエ」に縮約される前のソースの方が背景情報も提供していて面白いから、そっちを小説として公表している者もいるという描写もありました。
いわゆる実験的小説といった感じですが、これで完成されている感もあってとても好きです。
おわり
イベントに行くと、一人で読書している時とは違った本の楽しみ方ができます。
なお、今回発売された『シャッフル航法』は、今までの作品と比べるとわかりやすかったです。笑いがこみ上げるシーンなどもあって、ちょっと珍しいと思いつつ楽しかったので大満足であります。