グッドデザインカンパニー代表・水野学さんの本です。
ラーメンズのポスターやDVDのデザインをしている方だったので、ちょくちょく情報を追っていたら、本を出版されたとのことで食いつきました。第7刷くらいまで出たらしい。凄い人気ですね。
読んでみたら優しくて優しくて、背中押されるというより、背中さすられてる気分。そして非常に勉強になったので、センスないって嘆いてて優しくされたい人は読むといいと思います。
もくじ
「美的センス」がほぼない。つらい。
自分は、いわゆるオシャレなものをいい具合に組み合わせる、という作業がとても苦手です。そう思うに至った理由は、幼稚園から小学校に上がった時に、自分よりも格段に絵のうまい人間がいる、という事実を目の当たりにしたからです。
その時思った「絵がうまい」は、描写そのものが本物みたい、というのと、描かれたアイテムの配置までもが美しい、という意味です。
服もある意味、美しいもの同士の組み合わせなので、美術の一つだと思っています。着回しをうまく考えられないので、好きな店の服だけをじわじわ増やし、組み合わせに悩む時間を減らしたりしています。
しかし、そんなごりごりの美術コンプレックスを持つ自分でも、ちょっと大丈夫になるかもなと。霧が晴れたよと。
センスのある人がやっと説明してくれた
ざっとまとめると、
「オシャレ人がさっと選んでいるように見えるのは、適当に選んでいるわけではなくて、極めて論理的な思考が、頭の中で高速で流れている」
そもそも、テキトーに選んでオシャレに見えちゃう=センスがある、っていう定義だと思っていたけど、全然違うんですね。今まで「なんとなく」としか答えてくれなかったオシャレ人が、ついに教えてくれた。
確かに、TVのオシャレに変身企画とかで、スタイリストさんが説明している内容はすごく論理的な気がしてきました。あんまりちゃんと聞いたことなかったけど。
ロゴの書体の選び方
「THE」っていうブランドのロゴを決めるプロセスも、丁寧に説明してくれています。
これぞ定番っていうプロダクトを作り出すブランド
→ ロゴの書体も、これぞ「THE・書体」がいい
→ 世界で一番多く使われている書体?
→ それとも、書体のオリジン、源流のようなもの?
→ 活字が生まれた時ってどんなだった?
みたいな流れで、「ものすごく美しい」と言われて続けてきたローマ遺跡の石碑の文字を使うことにしたそうです。
客観的な知識を積み上げて、参照しながら、その都度判断を下している、根拠が明確にある、ということがわかっただけで、自分には希望の光として映ったわけです。
服のコーディネートの過程も、わかりやすい文章で優しく教えてくれてるし、全体的に優しさに包まれたなら。
「つくる自信」に繋がる「美術」
印象に残っているのが、今の美術の授業はもったいない、って話で、
歴史が、「知識を学んだ上で、今の時代で自分が何をしたらいいかという礎をつくる授業」であるなら、美術とは、「知識を学んだ上で、自分が何かをつくったり、生み出したり、表現したりする礎をつくる授業」であるべきです。
その礎がちょっと脆いのが、自分のような美術コンプレックス保持者なのでしょうね。アートを見る時も、知識と実技、両面からアプローチできれば理解が深まりますものね。音楽もそうだし、演劇も、小説書く時も、仕事もそう、全部そう。
美術がその自信を養うことに役立つ、っていうのはちょっと考えたことなかったです。
何かを「つくる」自信っていろんな場面で必要だから、美術の授業が磨けるチャンスだったけど、大人になってもそれは可能。独自に自分のやりたい分野で知識を積み上げればいいわけです。いろんな場面で応用できる本質を久々に見つけたなぁ、と感慨深いです。
文章もデザインできるのでは
「デザイン」って、漠然と美術やアートと近いイメージを抱いていたのですが、最近は「機能」と「装飾」の両方だよなと、やっとわかってきたところです。
使いやすく、わかりやすく工夫する、ってことがデザインなら、文章ももちろんその対象です。実際水野さんの文章は読みやすいので、デザイナーの精神が貫かれている印象を受けました。
それも知識と実践の積み重ねなのだろうなぁ、だったら自分も、文章を読みやすくデザインできるようになりたいなぁ、できそうだなぁと思ったわけです。
わかっちゃいるけど自分には無理、って思っている人におすすめ
根深いコンプレックスは、じわじわと蝕んできますからね。ちょっとこのあたりで向き合っておくのがいいです。知識の蓄え方も書かれているので参考になります。
自分は、Webシステムについての興味はあって、Webデザインとなるとセンスのなさゆえに踏み出せなかったのですが、ちゃんと勉強すれば大丈夫だ、という普通の結論に達することができました。コンプレックスは気にしないで好きに勉強しよう。
おわり
自分の周りにはやたらセンスの優れている人が大量にいて、送られてくる年賀状が恐ろしくオシャレです。毎年自分のダサい年賀状をポストに投函するのを躊躇います。来年分はコンプレックスを打破した年賀状を作ろうと決意しました。まずはグラフィックデザインからです。